郁子.Armandiのシカゴ便り

Vol.W(9月13日)


★2000年 アメリカツアー
日程:2000年8月16日―8月26日
場所:コロンバス(オハイオ)
   シカゴ(イリノイ)


NFA Convention 2000 Columbus,Ohio コンサート 8/18
私がアメリカに来てやっと一年経った1994年の夏に、約30人の大所帯で笛の会のメンバーがこちらのコンベンションに吹きに来て以来6年。
それ以来念願であったツアーが今年ようやく実現し、何とか無事に終えることが出来た。
一回目はヒロコ・ドライバーさんという強力な助っ人がいたのでほとんど任せっぱなしだったけど、今回はコンベンション参加のリクエストからシカゴのコンサート、ホームステイ先まで一人でアレンジする必要があったのでなかなか責任重大で、みんなと会う1週間位前から眠れないほど緊張してしまった。
とにかく事故のない楽しいツアーになって、心からホッとしています。

2回目の今回の参加者は13人と少人数で、なかなかまとまりのよいグループだった。
小・中・高・大学生とプロの笛吹きが入り交じる年齢の幅の広いグループにも関わらず、日頃のつき合いの濃さから来る仲の良さが印象的だ。
私にとっても懐かしい子供達が今や朝の化粧に1時間(!!)かけるような女子大生になっていたり、バリッとタキシードの似合う高校生になっているのを見るのは嬉しかった。

フルートコンベンションでの演奏(コロンバス)は丁度その時間帯にたいしたプログラムがなかったことが幸いして大勢の人が会場に集まってくれて大変評判の良いコンサートになった。
演奏面ではいろいろな反省点があるものの、6年前より楽しめる、見せるものであったことは確かだと思う。
私自身、ほとんど英語が喋れなかった当時に比べていくらか気の利いたことが言えるようになったことも少しは役に立ったようだ。

みんなも適度に緊張しながらのびのびと演奏できて、3回あったコンサートの中でコンベンションでの演奏が一番良かったように思う。
コンサート後たくさんの人に囲まれてなかなかその場を立ち去ることが出来なかったのも嬉しい出来事だった。
その後もコンベンション開催中あちこちで声をかけられ(30人位の人から直接良かったとの感想を聞いた!)バーで飲んでいても「あの時の演奏はホントに良かったよ」と言ってビールを買ってくれる人もいて、反応の大きさに我ながらビックリ。もらった名刺の数も6年前とは比べものにならないほどで、面白そうな人たちにはボツボツとメールでも送っておこうかと思う。

それにしてもドビュッシーの弦楽四重奏曲は、ホントに美しい。
演奏していて飽きることがない。
また対馬先生の編曲が素晴らしく、まるでこれがオリジナルのように感じる。できれば全楽章演奏したかった。
この曲の譜面が欲しいと言う声は数多く聞いたが、まずは出版する方向で考えようということになった。我々のオリジナルの編曲を出版するということも新しい考えなので、面白いことに発展していくのではないかと思う。

コンベンションそのものはコロンバスが大都会ではなかったことが原因したのか参加者も例年より少なく、目玉になるゲストも確保できなかったような印象だったけど、それなりにほのぼのとして良い催しだった。
展示ブース ナガハラフルートの永原さんと再会

展示ブースに遊びに行くとムラマツ、サンキョウを始め、ヤマハ、パール、アルタス、ミヤザワ、マテキ、そしてボストンで頑張っているナガハラフルートなど、日本のメーカーがズラッとブースを構え、各社から中心人物が来ている。
コンベンションの度にこのことには感動する。日本人は車や電化製品の世界だけでなく、フルートの世界でも一流の品物を作っているのである。日本人、ガンバレー!

コンベンション終了後バスで7時間かけてコロンバスからシカゴに、アメリカ大陸の中部地域、山の全くない平坦でまっすぐ続くハイウエイをとうもろこし畑を見ながら移動。
そのままバスを演奏会場であるルーズベルト大学に横付けしてリハーサルにかかる。シカゴでの私の生徒も4人加わった。
(そのほとんどの家庭が今回のホームステイの受け入れ先になって協力してくれた)
お客さんは約50人程度集まり評判はそれなりに良かったが演奏者は相当疲れていたようだった。
1ヶ月以上レッスンをしなかったので私の生徒達の出来も相当ひどかったが、間違った音を平気でバリバリ吹くその素直な(!?)姿勢に感動…。秋からまた頑張って教えようという意欲を新たにした。
対馬先生を残す後のメンバーはコンサート終了後、不安な思いでそれぞれホームステイ先に引き取られて行った。

次の日は日系の老人ホーム「平和テラス」での演奏、30人ほどの居住者が集まってくれた。
演奏後用意してもらったお茶とお菓子を頂きながら、いろいろな人の苦労話を聞く。
白髪の上品そうなおじいさんの話をじっと聞いていた最年少参加者の松久舞ちゃんが「ああ、この人の人生に涙が出る」と言いながら涙を拭っていたのが印象的だった。
日系老人ホーム“平和テラス”での演奏会

ホームステイ先のお母さんが一人この日のコンサートを聞いてくれていたが、彼女は後日、子供達があちこちのテーブルにパッと散らばってそれぞれの人たちの話を一生懸命聞いていたことを素晴らしいと誉めてくれた。
久しぶりに日本語を話す人(もう片言でしか話せない人がほとんどだったが)を見て嬉しかったのかもしれない。でも動機は何にせよ、このような日本の現代っ子がアメリカで苦労をした日系の人たちと話が出来たことは貴重なことだと思っている。私自身あまり日系人の歴史を知らないので、彼らが如何に苦労をしてきたのか、もっと知りたいと思った。またそれがここに住む私たち日本人の責任だと思った。

そしてようやく全てのコンサートが終わり、翌日は一日自由行動。シカゴのダウンタウンに行ったり買い物をしたり、それぞれのホームステイファミリーと楽しく過ごしたようだった。最後の日はバンをチャーターしてシカゴ観光、ちょうどお天気も良くミシガン湖岸を北上すると右手には海のようなミシガン湖、左手には超高層ビルの建ち並ぶダウンタウンが見えて美しい。シカゴは特に観光の目玉になるものはないけど、とにかく美しい町並みをみんなに自慢したかった。夏は蒸し暑く、冬は超寒いシカゴ。でも住めば都、ここが私の町、第二の故郷です。
シカゴ ミシガン湖畔にて

その日の夜は最後の打ち上げ。会場の中華料理屋にはわが愛する夫リチャードやその弟、私の姪っ子甥っ子、そしてお義母さんなどのみんなに紹介したい親戚と、ホームステイファミリーが待っていた。バンを運転して観光に連れていってくれた運転手さん(シカゴで唯一の日本人によるリモ会社を経営する社長さん)が帰りは大きなストレッチリモでホテルまで送ってくれたので、見たこともないリモにみんな大喜びたっだ。

長いようで短かった11日のアメリカツアー。私自身いろいろ考えることがあった。
まずもっと演奏活動をすること。刺激の少ないアメリカの生活のなかで、それなりに刺激を作ってもまれる必要性を感じた。
その刺激の一つは日本に帰ってみんなと会うこと、一緒に吹くこと。今まで2年に一度の割で帰っていたけど(それもリチャードを連れて!)もっと頻繁に、一人で帰ろうと思う。

これから自分のやっていきたいことも少しわかったような気がした。それはやはり、日本でやっていたときと同じようにもっと教育活動に精を出して、密度の濃い人間関係を築くこと。

シカゴに住みだして今年の夏で4年が過ぎた。アメリカ生活はもう7年になる。
私を受け入れてくれたアメリカには心から感謝している。音楽を通して何か恩返しをしようと思う。
今回ぼんやりと感じたことを少しずつ具体化していこうと思う。

皆さんももっと頻繁にアメリカに来て下さい。関空からシカゴまで直通便に乗るとたったの12時間ですよ。頻繁に来ることで「英語恐怖症」を解消して下さい。そして狭い日本にとらわれない、世界的規模で考えられるような人になって下さい。

シカゴでいつでもお待ちしています!

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