郁子.Armandiのシカゴ便り

Vol.V


音を探して

パトリック・ガロワとのインタビュー 
インタビュアー:ヤラ・カーン

フルートトーク1999年10月号より


ガロワはドアの向こうから流れ出てくる初めて聴くそのフルートの音色にたちまちのうちに魅了されてしまった。そして彼の好奇心はすぐにどうやって音を出すのだろう…と考え、習ってみたいと思うようになった。

「フルーティストはまず音のことを最初に考えるべきですね。そして、生涯を通してイメージする音が出せるように努力する、でも吹奏している自分自身ではとても判断しにくくすごく難しいことなんだけど」

楽器

理想の音を探してガロワは次々と17-18本の金のフルートを吹いてきた。

「探し求めて30年後、結局僕が求めている音を作ることが出来る木製のフルートに変えました」

金属製のフルートを随分長く吹いてきて彼は木のフルートの反応にショックを受けたという。フルートメーカのChris Albertに会い、木のフルートを買って、とうとうモーツアルトを形式美を持って吹くことが出来る楽器を手に入れた、と思ったと同時に彼はその楽器の最大の可能性を発見する。

「金のフルートを吹いているとき、このフルートはTelemannやBachを演奏するにはパワフル過ぎると感じてたんです」

その頃Krystoph Pendereckiのコンチェルトの初演演奏をスペインで控えていて、木と金のフルート両方で練習する時間がなかった彼は、買ったばかりの木管のフルートの方がその新しいコンチェルトを演奏するのにピッタリだという事を発見した。

「同じようにBerioのSequenzaなど他の現代曲も木管で演奏するととても良いのです。金のフルートを吹いている時はアーティキレーションに悩まされていたんです。」

修行時代

学生時代、ガロワはExerciseとEtudeをよくさらった。

「AndersonのエチュードとTaffanelのスケールで育ちましたね。Andersonの歌うような練習曲はそれぞれが何か一つの課題を練習できるように書かれています。
最初の数ページまででもみっちりさらう事ができたら、その課題の大半は克服されると思いますよ。」


彼はパリの大学でJean-Pierre Rampalについて勉強し、19歳という若さでLilleのオーケストラの首席奏者となった。
2年後パリ国立管弦楽団に移り、ソロ活動に集中するために1984年に辞めるまで首席奏者として活躍した。


「僕は自分自身がフランスで最高のオーケストラの中で、とてもめぐまれた奏者である事はもちろん知っていました。でも決して満足していたわけではないのです。他に自分独自の演奏活動の仕方を探し出す必要があったのです」

ガロワはソロキャリアを伸ばそうと動き出した途端に、ある問題に突き当たってしまう。

「その当時、僕は現代曲がよくわからなかったので好きではなかったのです。その上多くのバロック時代のスペシャリストがいた。僕のレパートリーと言えば、ReineckeとかRomberg、Saint-Saensくらいなもんだったんです」

壁にぶつかったガロワはTelemannへと向かう。

「なぜならそれはパリでは絶対練習しない音楽だったからです。Vivaldiのように簡単すぎると思われていたんです。フルーティストはあんまりvivaldiを練習しませんよね。ただその場に現れて吹くだけですよね」

ガロワはTelemannのFantasiesに挑戦し、1−2時間毎日練習するという日々を6−7年繰り返す。

「同じフレーズを納得いく音楽的意味を見つけるまで、何度でも何時間でも練習しました」

彼はこれをQuantzやC.P.E.Bach、Mozartなどの手紙や文献などを研究することによってさらに深いものにしていった。
Fantasiesに中の調性にも興味が湧き、また木管のフルートに対して以前とは違う考えを持つようになった。


「調性っていうのは虹のようなものです。時々違った色の間に明るい光が射し込む。最初は寂しく感じていたフレーズが実はすごく生き生きと光っているのを発見したりして、とても面白いものでした。Fantasiesの中の一曲一曲が自然な創造みたいなものの中のイマジネーションを使うように作曲されている。この12のFantasiesはイ長調からト長調まで、サークルとして演奏されるべきだと思います」

無伴奏

ガロワは無伴奏のリサイタルが好きだ。

「ピアニストとの複雑なやりとりは時々聴衆の注意をそいでしまうことがあるんです。ピアニストと一緒に演奏しているとき、どうしても一人でやりたいようにやれるという自由はありません。僕はお客さんに僕の夢の中に入ってきて欲しいんです」

6―7年の練習を経て彼はパリの近く、Aulnay-sous-Boisでリサイタルを開く。足を運んだ聴衆は少なかったが彼の演奏は大変反応の良いものだった。それ以降、12のFantasiesを吹き続けながら彼はリサイタルを世界各地で開き続けることになる。
中東戦争のさなか最中、ベイルートのある教会で、灯りが外へ漏れないようにろうそくだけでTelemannの演奏をすることになった。


「僕たちは爆撃を恐れていました。どの教会が標的にされているのかも分かりませんでしたから」

にもかかわらず、そのろうそくの光はドラマティックな雰囲気を演奏に加え、以来ガロワの演奏会にはろうそくは欠かせない物になった。

作曲家との対話

オーケストラを離れてから再び現代曲の世界にも足を踏み入れた。オーケストラや室内楽ではよくやっていた現代曲だが、彼がそれを理解し、楽しむためにはしばらくの時間が必要だった。ガロワはソロやコンチェルトの作曲家に自分の演奏に対するアイディアや批評を求めた。

「作曲家が何を望むかを見いだすのは難しいですから・・。Pierre Boulezがフルートに対して何を書いたのかを説明する時はすごくわかりやすく話してくれるけど、作曲家によっては演奏者に説明する必要はないと思っている。僕が初めてPendereckiのコンチェルトを吹いた時、和声的に幾つかの点を調整したんですが、彼はそういう風に書いたのではないと言ったのです。僕は彼にただちょっと僕が演奏するのを聞いていて下さいって頼んだんですよ。そうしたら凄く良いと言ってくれた。でも彼が思っていたものとは違うと・・。僕の解釈は彼の音楽を僕なりに理解したものだったんだけど・・。これも解釈の面白い面だと思いますね」

ガロワは多くの現代曲を演奏するにしたがって、より自分が自由になっていくのを感じ始めた。

「もしも新しい現代の協奏曲をMozartを勉強するようにやり始めたら、音楽は自分自身で語り始めます。何故ならあなたがその意味をそこへ持ち運ぶからです。それぞれのフレーズにもだえ苦しむ必要もなく、ただ吹けば良いだけなのだから」

彼は音楽は作曲家や、演奏者や、聞き手にとってそれぞれ違う意味合いがあると思っている。

「作曲家のアイデアが鉛筆とか紙とか五線紙によって制限されてるってことが多くあると思うんです。僕たちが記号を解釈するときその記号以外のことも表現するでしょ。僕たち自身も楽器によって制限されている。一方聞き手は何も読むものはなくただ彼らが聞こえる音楽を受け取るだけ。だから間違った理解があちこちに生まれるわけです。だけどこれが僕たちにとっての挑戦なのです」

ガロワは音楽に対する様々な考えを求めて作曲家と楽しく話し合うことにしている。説得力ある演奏のためにはより深い音楽概念を身につけることが必要であると信じているからだ。

「もし作曲家の立場に立ってすべての作品を考える事ができたら、Mozartの作品を吹くのと同じようなアプローチでStockhausenを演奏すると言うことはしなくなるので、より曲の個性を生かした演奏ができるようになると思います」

ガロワは新しい作品を受け取った時、作曲家に対してどの様に演奏するかを話し合うべく手紙を書くことにしている。
あまり知られていない作曲家達はこのことを誇りに思うようだ。


「これがいつも音楽的解釈にとって良いとは思っていません。もし簡単に吹くために何かを変更することがあるなら本来のオリジナルからほど遠くなってしまいますからね」

解釈

ガロワは、第一印象で解釈について強く感じたことが普通は一番良いものではないかと言う。

「知れば知るほど解釈を複雑なものにしてしまう傾向がありますよね。我々は二十歳くらいの、深く考えすぎない音楽家のような態度を忘れずにいるべきだと思います」

ガロワは現代音楽とその解釈を、バロック音楽で苦労した時と同じように理解できるようになり始めてきた。

「僕はTelemannを最初全く知らなかったから練習した。そして、フィンガリングが違うので同じ早さで指が動かないという状態で、新しいテクニックも現代の木管フルートで開発しなければならなかった」

彼はMozartのコンチェルトをまだ満足した状態で吹けないのにパリで演奏する予定になっていた。

「僕はあの曲を以前のように演奏できなくなっていた。そしてどうやってその問題を解決すべきか全然わからずにいた。
まったくひどいコンサートでした。それ以前は美しく明確な典型的フレンチテクニックを持っていたのに。Telemannを克服した後の僕は、別のテクニックを木管のフルートで身につけ、以前のものは忘れてしまっていたのです。でもモーツアルトを吹くことは更に他のテクニックも必要で、その時の自分にはそのテクニックはなかったのです」


他のアプローチを身につけることは演奏家の責任でもある。

「フルート奏者は自分自身を一人の作曲家を通して見つけることが出来る。MozartとStockhausenを同じように演奏する間違いはするべきではない。自己を忘れ、その作曲家を通してさらに自己を再形成する、ということは難しいですが必要なことです」

彼は解釈は時間と経験によって変化するものだと悟った。

「若い人たちは考えないで自然に喋り出す。密度の濃い勉強を何年も続けたのちの演奏者は自然なアプローチの仕方を無くしてしまうかもしれない」

ガロワの最初のレコーディングはLuxembourgのオーケストラとの共演だった。短期間でSarasateのVariations for Violinを演奏しなくてはならなかった。

「とても簡単に演奏することは出来ましたし、しばらくして日本でも2日間の準備だけでSarasateとDopplerのレコーディングセッションもこなしました。しかし今は狂ったように練習しないとダメ。一体真実はどこにあるのでしょう?これはあなたの人生の毎日が挑戦であると言うことの証明です」

聴衆

ガロワは演奏契約が世界中に広がる中で、聞き手の方にも違いがある事を発見していく。

「僕の好きなところはスカンジナビアです。いろんな国の人がコンサートに来きてくれるし、音楽をすごく良く知っている」

ドイツの聴衆は古典的でイギリス人はレパートリーを良く知っている。フランス人はコンサートに行くという社会的側面をもっと楽しんでいるようだ。

「大体40回のコンサートを同じ国でやってきて、それぞれの特徴がだんだんわかってきました」

でもまだカナダ人やアメリカ人は良く知る機会には恵まれていない。

「僕の音楽にかける全てを出しても、日本では彼らからその反応が返ってきたことはありません」

指揮法を学ぶ

多くのソリストと同じようにガロワもLilleのオーケストラで在職中だったLenard Bernsteinと会って以来指揮に興味をいだいた。Sergiu Celibidacheも、彼のクラスに参加したガロワの指揮に対する熱情に大きな影響を与えている。

「人々との間に物語があるように、音と音の間にも物語があるのだと言うことがわかってきました」

Celibidacheのクラスを通してガロワは一つの音楽的ひらめきを得る事ができた。

「僕は、Rampalがとても自然に演奏するフレーズを聴いていて感じるフィーリングはハーモニーを通して説明し得ることを発見しました。音楽って川みたいなもの。ある地点で川を押すことは出来るけどいつでも川の流れは返ってくる。
もし川をハーモニーや形式を通して感じる事ができたら、もっとたやすく音楽表現することが出来るでしょう」

学生達へ

教えることを通して彼の音楽に対する個人的な見方は明確になってきた。彼は生徒に対しては自分自身の声を見つけるための手助けをするようにしている。

「情報を交換し合わないから会話が途絶えてしまっている。パリのクラスでは世界中から来た誰もが、同じように演奏しようとしている。そしてそれは間違ったことだ。40人の生徒達はみんな素晴らしいが同じ演奏をする。そんなものは全く必要としないのに」

学生達が個性的に演奏できる勇気を見つけ、普通のレパートリーから離れるべきだと強調する。

「学生達が保守的すぎたりリスクを負おうとしないときは凄くイライラしてしまう。コンクールなんかでは彼らは最高の演奏者達が最初のラウンドで落とされるのを見てショックを受けている。どこかで何かがおかしいよね。僕は生徒達にそれぞれの音楽的魂を持ってコンクールに参加するよう説得することを心がけています。これが正しいBachの解釈だって言える人がいますか?Bachはもう死んでいる。我々が必要なのは個性なのです」

彼は自分自身が学生の時習ったのと同じ基本的レパートリーであるTaffanelやAnderson、そしてスタンダードなソロの曲を教えている。一週間に一つの調性を宿題に出し、そのキイだけを研究するように指導する。加えて学生達が技術をのばせるような新しいプロジェクトを作っている。また学生達のコンサートも一年に一度開いている。

「ある年、僕は過去10年間のパリで作曲された僕が探しうることのできる作品を全部持ち出して学生達に作曲者の電話番号を教えてあげました。そして学生達は自分たちでその曲を仕上げるということをやったことがあります」

教える

ガロワはこのようなプロジェクトが学生達の個性的な音楽家魂を育てることを励ますものになることを願っている。学生達にできるだけ大きな選択幅でアーティキュレーションやビブラートを用いることを勧めていることについては次のように語る。

「僕たちは、これは絶対使わないだろうと思われるような画一的な練習をよくしてしまう。現代曲ではC.P.E Bachのようなスタカートは使わない。だけどBachやQuantzからまた別のスタカートを学ぶことが出来る。だからパレットはできるだけ大きい方がいいんです。選択の幅は常に広い方がいい」

彼は更に練習曲と楽曲の間のつながりを発見することの大切さを強調する。また、ブレスや空気の支柱についてフルート奏者は無視していると感じてる。

「我々はどのように息をつかうか知っていなければいけない。でもその息のスピードについて充分に討議されてないんじゃないかと思う」

彼は空気のスピードをコントロールすることとそれを賢く使うことがアーティキレーションとビブラートへの鍵であると信じている。ガロワの教授法はフレンチスクールに基づいているが彼自身がどっぷりその奏法に属しているとは思っていない。

「僕はその一番良いところを利用しています。そしてPoulencやIbertをうまく吹けることが凄く嬉しい」

ガロワは練習を日課にするようにすすめる。多くのフルート奏者はある日は良いフォームで、次の日には悪いフォームになってしまう。これは毎日同じ時間に練習しないことから発生するのだと言う。楽器を練習するとき肉体的な面を理解することは大切である。

「自分の体を同じ音を作れるように教育するのです」

もちろんオーケストラで吹くことは絶え間ない練習を要求する。

「いつも毎日良い状態でなければならないわけです」

また学生達に練習曲を暗譜することも激励している。

「暗譜はよいことです。何故ならその楽曲構成がわかり、何を如何にすべきかがわかってくるからです」

彼は暗譜することは間違った曲を準備していたというような時の為の保険のようなものだと言う。

「もしその曲を知っていれば、いつでも吹くことが出来ますよね」

彼の最近のプロジェクトはDVD版のTaffanelとGaubertのスケールで、テレビやコンピューターを利用して、スケールと音楽がどのように関係づけられるかを示すために作成された。

音楽の未来

また以前はあまり高い評価をしていなかったが、最近その力強さと生命力を発見したElliot CarterのCDを録音した。Carterの室内楽と武満のオーケストラと室内楽のCDを近い将来録音することになっている。
ガロワは音楽の未来については少し慎重だ。


「誰もがBeethovenやMahler、Vivaldi、Mozartを演奏しているとしたら聴衆は集まらないでしょう。これからの20年先はそういったコンサートは無くなるものと考えています。だからこそ我々は新しい音楽を作る必要があるし新しい作曲者を見つける必要があるのです。良いコンチェルトだけを作るわけにはいかない。10曲中1曲くらいは良いものが出来るのではないでしょうか」

こう考えるからこそガロワは聴衆が興味を持ち長く残りそうな現代曲を、一回のコンサートに一曲組み入れるのである。
これは芸術家としての責任としてとらえており聴衆も彼のその考えを受け止めてくれていると感じている。


「僕は現代曲は古いスタンダードの曲よりももっと面白いと思っています。George CrumbのVox BalanceはHaydnのトリオよりずっと面白い。George Crumbを演奏するとき、聞き手も乗ってきますよ」

音楽と解釈はいつも変わり続け、そしてガロワは未来に期待する。

「僕はすごく変わります。ほんの5年前の僕のMozartは今とは違っていた。我々は毎日問い続けているのです。解決法はいつもあるとは限りません。音楽は疑問の塊です。その一つ一つの疑問に我々は幾つかの解決法を見いだすことが出来るでしょう。ある一つの疑問が最良の師となり、あなたはその答えを一生かかって探し出すものなのではないでしょうか」

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