郁子.Armandiのシカゴ便り

Vol.[(7月8日)


★ 朝比奈 隆 さんの思い出
大阪市音楽団友の会報2002年3月号より


日本に住んでいるときは遠くから眺めているだけだった朝比奈隆さんと初めて言葉を交わしたのは、私がシカゴに引っ越して来たばかりの頃だった。1996年5月にシカゴ交響楽団とブルックナーの5番を演奏され、87際にしてアメリカデビューを実現された朝比奈先生。そして同じ年の10月にも再度招待され、今度は9番を4日間ほとんど連続で演奏された。大阪出身の私としては学生時代から聞き親しんでいた朝比奈先生が、若々しい指揮でホール一杯の聴衆を感動させたことを心から誇りに思った。

幸せな事にその2度目の訪米の際、地元の日系新聞の為にインタビューさせて頂いた。穏やかな秋の昼下がり、フォーシーズンホテルの一室に時間通り朝比奈先生は待っていて下さった。あの時のお元気な姿が忘れられません。今回はその時のインタビュー記事(大変未熟なまとめ方をしていますが…)を皆さんに読んでいただきたいと思います。先生の人柄が少しでも伝われば幸いです。最後まで現役を全うされた朝比奈隆先生。心から冥福を祈っています。

「ミッドウエスト日米ジャーナル」1996年12月号より
朝比奈隆氏インタビュー

―シカゴシンフォニーについて

・自分の知っている限り、このオーケストラは世界最高のものである。弦楽器も管楽器も本当に一人一人素晴らしいプレイヤーが揃っている。経験と技術に基づいた高い順応性を持ち、回数を踏む毎にお互いの理解が深まるのを感じている。明日(4回行われた最後の日)はきっと一番良い演奏が出来ると確信している。
・聴衆の質も高い。有能なディレクターと良い聴衆、素晴らしいオーケストラがそれぞれ刺激し合い、長い年月をかけて高め合っているのだろう。ヨーロッパにもなかなかこのようなオーケストラはない。

―日本人と西洋音楽について

・自分自身日本人である、という事はほとんど考えたことがないが、日本人が西洋音楽を聴き始めて100年、演奏し出して50年。山田耕筰氏がヨーロッパで勉強したことを日本に持って帰り、近衛秀麿氏、そして私の世代がやっと第三世代である。今は第四世代が世界で活躍している。四代目になると人口も比較にならないほど多いしね。ここまで日本人が肩を並べるようになった事は素晴らしい。
・1994年に文化勲章を貰った時、同僚である音楽家が大変喜んでくれた。山田耕筰氏が受賞して以来2人目の音楽家になるが、より民衆に近い立場の演奏者として認められたことが私自身嬉しかった。日本でも音楽家の地位が向上することを願う。

―専門の音楽教育を受けなかったことに対して。(氏は京都大学の法学部を卒業して阪急電鉄に入社、また大学に戻り美術史を勉強した後、音楽家としての道を歩み始めた)
・普通のサラリーマンになる為に勉強した後、就職もしたが自分にはむいていないと思い、2年ほどでやめた後音楽家になったわけだが、もしその時両親が生きていたらもちろん反対しただろう。誰にもこんな事は進められるものじゃない。生活が大変だからね。
・小さい時からやっていたヴァイオリンをしばらく弾き、40位から本格的に指揮者としての活動を始めた。60位になった時、人より長くかかったがこういう道を選んで良かったと思った。もし専門の音楽教育を受けて、早くから音楽漬けの生活をしていたら、ものの見方、考え方が今とは違っていたと思う。
・私の師匠であるメッテル氏(当時の京大交響楽団の指揮者)が「お前は始めたのが遅いんだから人より一日でも長く生きて、一回でも多く舞台で演奏しろ」と言われた。私も全くそう思っているのでそれに従っている。つまり現場で勉強させて貰っているわけだ。もし私の演奏にキャラクターがあるとすればその辺にルーツがあるように思う。普通に音楽大学に行き音楽家としてのデビューが早かったら、70位で引退して今頃別荘でのんびりしているんじゃないかな。
・法律学というのは非常に論理的で、感情がコントロールされており、西洋音楽の理論と似通ったところがある。指揮者には法律を勉強したものが多いが、私もそういう点で指揮者に向いていたのではないか。指揮者としての活動に法律学、哲学、文学などの勉強の経験は大変生きており、道のりは長かったが私自身満足している。

―アメリカという国について

・戦前、イギリスとロシアの植民地であった中国の一部を日本が占領した時、私は軍隊の出向のような形でいくつかの中国のオーケストラを指揮した。それはイギリス人、ロシア人が蒔いた新しい文化の種を育てるような作業だった。終戦はハルピンで迎えたが、その日まで演奏は続けた。それから一年かかって大陸を歩き、満州当たりで占領軍(アメリカ)に保護され、その時初めて缶ビールをもらって飲んだことが強く印象に残っている。「ビールの缶詰があるのか」と…。またアメリカ軍が昨日までの敵に大変紳士的に接していた事も、驚くと同時に懐の深さを肌で感じた。もし私に軍人の経験があれば違った印象を持っていたかもしれないが、その時以来私の「アメリカ観」というのは変わっていない。非常に自由で、色々な国の色々な要素が加わり新しいものを生み出す力に溢れている。
・今までアメリカのオーケストラを指揮しなかったのは誰も招待してくれなかっただけ。自分から押し掛けて「さあ、振らせて下さい」と言ってもやらせてくれませんから。ヘンリー・フォーゲル氏が91年に日本に来た時に私の演奏を聴いたことがきっかけで5月の客演が実現した。彼は私の録音は全て買い、徹底的に私の事を調べたらしい。すごいことするね。

―今後のことについて

・この公演が終わるとすぐ、地元大阪(大阪フィル)と東京(新日本フィル)でベートーベンの交響曲全曲(9曲)演奏会が待っている。(大阪のチケットはすでに完売!)そのシリーズが終わると丁度私は90歳。それからは健康に気を付けて暮らしたいと思っている。本なんか書く気は全然ないよ。文学者じゃないんだから。

―健康の秘訣

・タバコは50でやめた。あれは体に悪い。お酒は飲みます。食べ物は何でも食べる。違う土地に行けばその土地の物を美味しく食べる。私は生まれつき健康なんだよ。



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