郁子.Armandiのシカゴ便り

Vol.\(7月8日)


★ 音楽家にできる事
大阪市音楽団友の会会報2001年11月号より


私はその日「紅花」というアメリカでは大きなジャパニーズレストランのグランドオープニングの仕事が入っていた。鏡開きに太鼓3人と篠笛を、その後はハープとフルートで演奏する予定だったのである。朝早く家を出たのであまり事情の飲み込めていなかった私はとりあえず目的地に向かった。「今日予定通りあるの?ホント?テレビ見て私もう涙が止まらない。あるんなら行くけど絶対外で演奏したらダメよ。日本人が太鼓や笛でピーヒャラやってたら殺されるよ」途中中国人のハーピストからそんな悲壮な電話がかかってきたが、その時は事の重要さにまだ気付いていなかった。勿論その仕事はキャンセルになった。

私の夫はその日朝5時に起きて「8時に入って来る大型客船をデキシーランドジャズでお出向かえ」という仕事が入っていた。何も知らない半分寝ぼけた彼らは予定通りミシガン湖に向かってブンパッブンパッとやり出すと、大慌てで警備の人が止めに来たそうである。

その日、2001年9月11日。世界中を震撼させた今回のテロ事件が起こった日である。

私たちはそれぞれ家に帰ってテレビに一日中釘付けになった。何度も何度も繰り返して放送されるワールドトレードセンターに飛行機が突っ込んでいく光景、ビルが崩壊してゆく光景を呆然と見ていた。

事件の後しばらくして、あちこちで「God bless America」がさかんに歌われた。「私の愛する地、暖かい故郷アメリカに神の祝福がありますように」と祈りを込めて…。しかしそれは「愛する土地を粉々にした奴らを絶対復習してやる」という気持ちを煽るものへと変化していったように感ずるのは私が外人だからだけではないと思う。

オーケストラのオープニングシーズンでもあるこの季節、普段は着飾ったパトロン達の社交の場であるガラコンサートも曲目を変更してあの日の犠牲者に捧げるものを演奏しているところが多い。モーツアルトやブラームス、フォーレの「レクイエム」は今さかんにあちこちで演奏されている。シカゴシンフォニーも急遽バレンボイムの意向でバーバーの「弦楽の為のアダージョ」、そしてシューベルトの「未完成」が、予定されていたバイオリンのベンゲイロフによるメンデルスゾーンとベートーベンの小曲と共に捧げられた。選曲が個性的で彼の気持ちが伝わってくるような気がした。

「カルチャー、我々の場合音楽はいつも良い時にだけ楽しまれるものではない。それは実際苦しい時にこそ大切な物だ。悲しみや悲劇が我々の周りを取り巻いている時、音楽はあなたを元気づけてくれる。我々はこれからも演奏し続ける。あなたが悲しい時も嬉しい時も、我々はここにいる。」「ニューヨークとワシントンDCで起こったことは本当に衝撃的な事件で、我々の今の理性的、また情緒的感情を表す適当な言葉は見つけられない。音楽家として、音楽はそういう複雑で深い感情を表すことが出来る最適な方法ではないかと思う。」とバレンボイムはプログラムに書いている。

武満徹が第二次世界大戦まっただ中に、ある兵隊さんからこっそり聞かせてもらったシャンソンの美しさに心を打たれ、もし自分が生き残って平和な世の中になったらこのように人々の心を慰める音楽をやって生きていきたいと思った、という話を思い出す。音楽には確かに人の心を動かす力がある。ささくれた心を癒す力がある。またヒットラーがワーグナーを利用して人々の心を扇動したように、気持ちを高揚させ一つの方向へ邁進させることもできる。

こういう時に一体音楽家は何が出来るのか…。それはその音楽家の生き方にかかっていると思う。これからどんな活動をしていけばいいのか、社会に少しでも役に立つために音楽家として、教育者として自分のできることは何か…。今回の事件でそのことを真剣に考えるようになった。

今、私は毎日のようにカザルスがマルボロ音楽祭で指揮したバッハの管弦楽組曲とブランデンブルグ協奏曲を聴いている。力強い演奏は弱っている心を励ましてくれる。不安な世の中で暗い気持ちになるけど、明日も頑張って生きようという気にさせてくれる。音楽の力は凄い。しかし凄いと思うと同時にその無力さに途方に暮れてしまう。

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