後藤 菜美 (ごとうなみ)

Profile
大阪教育大学教養学科芸術専攻音楽コース卒業。
第4回日本フルートコンベンション・アンサンブルコンクール、高校生の部金賞受賞。
第8回日本フルートコンベンション・アンサンブルコンクール、音楽大学・音楽大学卒業の部金賞受賞。
カワイピアノグレード7級、そろばん2級。
対馬 潤・倉田雅生・中務晴之・伊藤公一の各氏に師事。
各地で演奏活動を行いながら後進の指導にあたる。
現在関西笛の会講師。
高槻・京都市内・長岡京市・川西教室担当。

趣味 : 車の運転、旅行、読書、昼寝。
好きな音楽家 : ショパン、ブラームス、ジャックゾーン、ジョコンダ デビート、ピッチニーニ、ブリアコフ。
好きな作家 :斉藤 学、萩尾望都
好きな言葉 : 勝負は下駄を履くまで分からない
好きな食べ物 : ビール
好きなタレント:谷口キヨコ
2010年5月、茨木市クリエイトセンターで開催された
「第1回Young Flutists Festival」のゲネ風景。
関西笛の会の高校生以下の会員を集めて、佐渡裕さんのような
「スーパーキッズ」を創ろう!と始めたイベント。

INDEX
ごあいさつ 教えすぎてしまう事 正しい答え 滑舌 歯の矯正
親しくなりすぎる事 大人の生徒 甘い贈り物 中間報告 テレパシー
緊張感の男女差 命を懸けたレッスン 小心な私 合宿 右・左
言い訳 すれ違う意識 楽しいだけでは楽しくない 教えてると寒いんだってば 気の合う生徒
お腹がすく 器用貧乏 中間?報告 最年少生徒 言葉
生徒がやめる時 ミッソ 苦手なことを教える
ご意見ご感想をお聞かせ下さい・・・

教える側の悩み 苦手なことを教える(10/5/19)

フルートを長年教えているので、私自身大雑把には教えるスキルもアップしてきた感がありますが、自分の苦手な分野を教えるのは
未だなかなか乗り越えられないものがあります。

例えば、私はタンギングが苦手で教える際もタンギングの重要性は後回しになりがちです。かつ、割く時間も少ない…。(ごめんなさい)

苦手意識が勝って教える気にならない…。
苦手な分野は間違いを指摘されそうで教えられない…。

と、生徒さんからどつかれそうな理由でちゃんと教えられない項目が結構沢山あります。(あっ、辞めないで…!!)

講師の気分だけでちゃんと学べない項目があるだなんて最悪ですよねー。。。どうしよう。

多かれ少なかれ、教える側も人間ですから好き嫌い・向き不向きがあるんですよね。。。。
それを日々の勉強で補って行かねばならない訳です。


日常生活でも、何となく掃除よりお料理の方にばかり力を入れてしまうとか、お庭の手入れはどうしても後回しになってしまうとか、
ありますよね。そんなレベルで苦手な技術が伝授されないのですが、、、、そんな事言ってたら商売上がったりなので、コツコツ勉強してゆきます。すみません。




教える側の悩み ミッソ(10/1/18)

皆様、あけましておめでとうございます。
結局昨年は「更新ペースをあげるぞ!」と豪語していた割に二回しか更新せずまるでオオカミ少年。すみません。


Tuttiの中には男性だけのアンサンブル、20・30代のメンバーだけのアンサンブル、など特徴を絞ったアンサンブルを作って活動しています。
私は20・30代アンサンブル“ミッソ”を担当しています。
毎月第3日曜に、西淀川区・御幣島近辺で練習しています。Tuttiメンバーであれば無料で参加出来ます。
“ミッソ”も誕生からようやく一年が経ちました。


私も30代なのでやはり気が合い、練習以外にも色んな話しで盛り上がり楽しんでいます。
働き盛りの年代ですから、皆笛の練習はそこそこにしか出来ない状況ですが、たまに吹くのだからと熱心に通って下さってます。


今日本中で「悩める30代」が話題に上っています。自殺者に30代が多いとか、ワーキングプアとかニートや引きこもり、懐かしい言葉ではパラサイトシングルなど。
経済的にも精神的にも自立出来ない30代が溢れ返っています。

すぐ手の届く所に食べ物も情報も、大方の必要な物が用意されていて大きくは困らない。
必死に生きれば良いのですが、それには日本は物が溢れすぎ、便利すぎるのだと思います。
要は環境に甘えているのですね。

生存する為の物質に困らなくなれば次は集団欲・文化欲・精神的なものを求めるのは人間の本能です。
私達の仕事はそこにリンクしています。

“ミッソ”はTuttiの原動力になる若手集団です。その集団が社会の歪みを引き受けていては意味がないですよね〜。
これからの日本とTuttiを担う30代、“ミッソ”。
笛を通して一人一人を活気づけ、働く意欲や生きる意欲をも養っていけたらと野望を抱いています。
Tutti在籍の若手の皆さん、是非参加して下さい。
年代はともかく、自称“ミッソ”も(大きく外れていなければ)受け付けています☆




教える側の悩み 最年少生徒(09/7/1)

過去最速の更新状況!
素晴らしい…。

さて、「フルートは何歳から出来ますか?」
とよく聞かれます。
現在は幼児用の長さも短い・キィも更に持ちやすいよう補助キィのようなものがついた楽器が販売されているので、
4歳くらいからはフルートが習えるようになりました。

そのお陰で私は3歳半の女の子を教えておりました。(誕生日がきたので最近4歳になってしまいましたが)
これは私の受け持った生徒さんの過去最年少、とても楽しみ☆

女の子のせいか(この年頃の子は男より女の方が大人っぽいと言うこと)、
こんなに小さくても色んなコトを理解はしているようで楽器の操作にはなかなか手こずりますが、
こちらの言っている事は大方理解してくれる非常にやりやすいお嬢さんです。

どの子を見ても思います、子どもって賢いな〜って。
バカな子を見た事がない。
人間ていつからバカっぽくなるんでしょうかね?
大人を見ていると「あっ、バカだ」
と奢り高ぶった私は思う時があります。(ごめんなさい)


3・4歳だと手が小さいのでなかなか楽器を持つと言う事、キィを押さえると言う事がうまく出来なかったりします。
集中力も短いし、楽器が重く感じられてすぐに疲れてしまったり。
レッスンへの移動の車中に眠り込んでしまってレッスンが出来なかったり、レッスン中に眠ってしまったり...。

レッスン中にだんだん楽しくなってくるとふざけ出したり、レッスンとは関係のない話を子どもさんがし出すと
見学されている親御さんの方がだんだん怒ってこられて、
「ちゃんとやりなさい!」
と我が子を叱りとばし、レッスンを中断してしまったりすることもよくあります。

小さい頃からやらせるんだからフルートによって必ず何か結果を出さなければならないように感じておられる親御さんも多いですが、
人生なんて分からないものだし、出来る能力はひとつでも多い方が人生の役にも立つでしょう。
そして、何でもそうですが、深く物ごとを理解出来るちからがあると、より深い感動を得ることが出来る。
音楽も勉強も生活も、理解したい気持ち、工夫する知恵とその目的を知ればより豊かな人生を送るチャンスが増える、と思いますので
フルートを習いたい、と思ったら是非迷わず、いつからでもトライして頂きたいなと思う今日この頃です。



教える側の悩み 中間?報告(09/6/16)

更新ペースがちょこっとアップしましたヨ。
これは当事務局がHP更新を真面目に取り組もうと決心した為、私もそのとばっちり影響を受けて、こうしてコツコツと更新しております。m(_ _)m

来月にはTuttiの第9回定期演奏会が予定されていて、現在その準備でおおわらわ。
年に一度の定期演奏会は団員皆が待ち望んだ機会でもあるので、こちらも慎重にコトを運ばねばならず、
大雑把な私には非常に人生のお勉強をさせて頂いております。

てな訳で、今後はオリンピック並の更新ではなく、盆と正月くらいの更新には出来そうですのでマニアックなファンの方、喜んで下さい。
「こんなコト書いて」と言うリクエストあれば書きます。是非ご意見なども頂きたいです。



教える側の悩み 言葉(08/12/26)

皆様お元気でいらっしゃいましたか?
オリンピック並の更新状況になって参りました。今年の北京オリンピックは楽しまれたでしょうか?


さて、更新はオリンピック並ですが、内容は同人誌並です。


かつての生徒さんで40代半ばからフルートを始められた方がいらっしゃいました。仮にAさんとしますか。
Aさんは非常に熱心な方で、コツコツと練習をされ、適度にアンサンブルも楽しみ、結構上手い。
けれど、口から出てくる言葉は謙虚、と言うかネガティブ、と言うかなかなか判断に困る発言の多い方なのです。

「今からそんなに頑張っても腕は落ちて行くばかりだ」とか、
「私なんかがこの歳でこれからどんな曲をやったらよいのか?」とか、
「正直頑張るのがしんどい」
てな具合に毎度お話しされる。

励ましたり応援したりしながらレッスンをしてますが、発言内容に変化はない。
言葉とは裏腹に、熱心に練習して来られるのでレッスン曲はどんどん進む。
ネガティブな事をおっしゃるけれど、本当は音楽を求めている事には変わらないんだから私は一生懸命教えるだけさ、
なんて思ってはいるものの、自分でも思いの他その発言の影響を受け、気がついたらAさんと同じように考えてしまっている
自分がいました。

「この人を教えて一体何かよい事があるだろうか?歳を取って肉体的にも衰えて、本人さえも頑張ることに億劫さを感じている。」

だんだんAさんを励ます事も、熱心に上達を望む事も少なくなってきてしまいました。
レッスンに覇気が無くなっている事にはぼんやりと気がついても、自分としてはAさんの意向に耳を傾ける事は人間として良い行いだと思っていましたので、聞いている私自身がそれらの発言に支配されてしまっている事には長く気がつきませんでした。


でもある日、全然別の教室のある年配の主婦の話しを聞いて目が覚めました。
彼女は昔別の先生にフルートを習っておられましたが、そこはソリが合わなくて辞めてしまったのでした。
彼女も練習熱心、性格は明るくほがらか。
辞めた理由が何だったか、と言う話しになり、彼女が

「自分は50代にしてフルートを始めたので上達は遅い、教わっている先生は優しい先生ではあったけれど、明らかに‘その歳で今更フルートやったって上手くなんかならないよ’と私のフルートに関しては諦めていて無難な課題しか与えてもらえなかった。習いたくて通っているのに可能性が無い、なんて思われる事ほど辛い事はないので辞めてしまいました。」
とおっしゃるその唇を見つめながら、「その先生は私自身の姿だ!」とはっきり分かりました。

生徒さんのネガティブな発言のせいにして自分の仕事を私は怠っていました。
生徒さんが頑張れない理由を自分自身の中には見つけようともせず、楽な方向へと一目散に走りこんでいたのでした。

反省ばかりの多い私の人生、またまた反省の種を見つけてしまってチョーブルー・・。
けれど、乗り越えられそうな方向をようやく見つけられてホッとしたのを昨日のように覚えています。

分析と決め付けは全然違う、客観的な判断基準を持つ事はフルートの天才児を産むかも知れない。
けれど決め付けの先には能力と心の終焉しか待っていない。

そんな事を思って急にAさんのレッスンに励み始めましたが、時すでに遅し、辞めてしまわれました・・・。Aさんごめんなさい。

言葉の持つ力の思いがけない影響力を感じた出来事でした。
気持ちの持ちよう以上に言葉のポジティブさが重要なんだと肝に銘じたのでした。



教える側の悩み 生徒がやめる時(05/7/18)

1年以上ぶりの更新、未だこのページを覗いて下さるコアなファン(?)へ向けて書いております。


生徒が入ればやめもする。
そりゃ、お互い色々な事があります。

生徒がやめていく理由は様々。
ご家族の転勤や結婚・受験、体の不調、そして口には出さねども、きっと私とのレッスンが合わなくてやめて行く生徒さんも
大勢いたと思います。

その都度生徒さんからやめる理由を伺い、自分なりの疑問も生徒さんに率直にぶつけて
別れて行くのにお互い十分納得しているにも関わらず、私にはどうしても、最後の最後までその生徒さんとお別れするのが
悲しくて悲しくて仕方がない。

それが
「転勤で北海道に移る事になりレッスンが受けられなくなりました」
と言う理由であっても、
「北海道からは通うのは無理やんね〜・・・・?」
と言う愚問を投げかけたくなるのをグッと我慢するほど
どの生徒さんと別れるのも辛い・・・。

自分が辛がっているのを生徒さんに重荷に感じられても何だし、と思って、最後のレッスンや別れ際は
なるたけさわやかに、今までで一番良い印象を持ってもらいたいわ、と言う下心を隠しながら
サラッとお別れする事に私は懸命だ。
本当は「レッスンやめるのやめない?」と寸前まで心の中で叫んでいる。
理由はともかく、生徒さんがやめて行く行為に、自分自身が否定されたかのような気分になってしまうのでしょう。

万人に求められる講師はいないのですが、それでは私は9999人に求められる良い先生になりたい、と心のどこかで願っています。

世のプロの大先生方の間でも、この先生はどうとか、この先生の所に行くと上手くなる、
と言うウワサは学生の頃からウソか本当か、よく耳にしたものです。
私が大好きな京都のI先生も、習えば上手くなる、と言うウワサが私が学生の頃から流れていたし、
今なおI先生の扉を叩く人は大勢います。I先生の演奏もたくさんの門下生から熱い視線で見詰められています。

そんな風になれたらな〜・・・・、と大きな大きな目標をかかえながら日々頑張っていますが、なかなかです。




教える側の悩み 器用貧乏(04/4/29)

「このページは盆と正月しか更新しないの?」とよく聞かれるのでゴールデンウィーク中ですが更新しております。

「器用貧乏」と言う言葉がありますが、この言葉、身に沁みて感じています。
断っておきますが、私が器用なのではありません。生徒です。そして子供の生徒です。

これも大まかに・且つ独断と偏見で二派に大別するに、めちゃくちゃ器用だが音楽性を感じず無表情に吹くタイプの子と、
歌心が人一倍豊かでフレーズの取り方も音楽的に出来、また表情のある音で演奏出来るにも関わらず、
楽譜をこれでもかと間違え倒すタイプの子・・。

現在教えている子供にもこの手のタイプがいます。
器用な方を仮にAさんとし、そうでない方をBさんとしますと、Aさんはとにかくオンプを吹かせると確実に吹き、覚える。
強弱記号だってちゃんと出来る。(スパシーバ!)なのに、Aさんが吹くクレッシェンド・ピアノ・アクセント・・・・、などには
あまり情緒を感じないのですねー・・。基本的に無表情なのです。

そしてBさん。Bさんの演奏を聴くと、子供らしい溌剌とした伸びやかな歌い方に涙する事がしばしばあります。
だがしかし、、、とにかく間違えるので感動したと思ったら途端に音楽が消えてしまい、曲のゴールまで辿り着くのに七転び八起きします。


うーん・・・、二人を足して二で割るとちょうど良い所ですが、とにかく二人とも対照的なのです。

ここで、教えている立場から見るとどちらが教えやすいか。
私にとってそれはBさんの方です。
楽譜上のミス・指回りなどは根気よくとにかく何万回もやれば時間はかかってもいずれ出来るようになる(だろう)。

しかし無表情な演奏を表情豊かに変えていくのは大変難しいです。
それはAさんの精神の成熟さによるからです。
「感受性」と「音楽性」は基本的にリンクしているとは思いますが、それらが表出するかどうかは別問題です。
だから無表情な演奏だからと言って、Aさんに音楽性が無いとは言い切れない。
音楽を聴いて何かを感じない人などいないハズなので、Aさんもきっと何かを感じているハズなのです。
それを引き出したいのだけど、日本人特有なのか、表情をつけて演奏する行為を大変恥ずかしがるのです。

私にも若い頃に経験がありその気持ちは良く分かるのですが、教える立場になるとイライラしてくる・・・ごめんなさい。

Aさんがもう一歩も二歩も上手くなる為には大人っぽい表情を持った演奏が出来なければならない。
でも今のAさんがそれを出来るようになる為には、上野発の夜行列車で雪の青森へ行き、青函連絡船で北海道にでも渡ってもらうくらいの
経験が無ければ、大人っぽい演奏は出来ないように思います。

でもAさんが青函連絡船に乗るのを待っていては私の人生が終わってしまう・・・。
音楽性を開発するレッスン、もちろん人それぞれですが、効果的に教える方法を日々悩んでいます。

神戸に住む大御所Y先生がいつかおっしゃっておられました。
「才能なんてものは若い内には分からない。敢えて言えば30位は過ぎなければ本当にはその人の才能などと言うものは
見えて来ない。それまではとにかくトレーニングをする事で多くの事はカバー出来るものである。
才能だなんだと憂えているヒマがあれば少しでもたくさんトレーニングをして理想の才能へとアプローチして行く事が
いずれ才能を生み出す種になる。」



教える側の悩み お腹がすく

食事については毎日のレッスンで悩んでいます。
夕方4時頃〜9時頃までぶっ続けで教える事が多いので、レッスン中は食事を取る時間がない。
レッスン前になるべく食べるようにはしているのですが、意外とこれが難しい。

昼間仕事がある場合は大抵12時前後に昼食を頂く。
そうすると、レッスンが始まる前3時頃なんか全然お腹がすいていない。
だからと言って食べなければ、レッスンが始まって2人目位でもうお腹がすいてくる。

私はフルートを吹いたりレッスンをするとホントにすぐお腹が減る。大体は食べて3時間位過ぎると減ってくる。

お腹がすいたままレッスンを続けていて、別段何事もなくスムーズに行く時もあるのだけれど、
悪い時には貧血のような感じになり、眩暈がしたりしてとてもレッスンに集中出来ず、しかもお腹ぺこぺこなので
音が出せなくなる。(どっか悪いんちゃうの)

レッスンの早い段階でそんな状態になったらもう最悪、
あとは何事もないかのように笑顔で振舞うだけで精一杯になってしまい、レッスンの内容どころでは無くなってしまうのです・・・。
(こんな講師クビやろ)


そうならない為にも!昼食は控えめに食べて、レッスン前に時間を作り出来るだけしっかり食べるようにしていますが、
そんなにうまく行く日ばかりではないですよね〜。


レッスン前にたらふく食べ、レッスン後にはまたお腹が減ってくるので9時過ぎに、時には10時頃にまた食べる。
帰宅は11時前後、その日にツイてない事があれば気晴らしにビールを飲んだりする時もある。
あるいはその日がとてもラッキーな日であれば嬉しくてビールを飲んだりする時もある。
そうして私はどんどん大きくなってゆくのでした・・。
あー、普通の生活がしたい。



教える側の悩み 気の合う生徒

気をつけていても相性の合う・合わないは自然と出てきてしまいます。
でも・・・。
私にとっては気の合う生徒の方が断然教えにくい!

気が合ってしまうと、お喋りが止まらなくてレッスン中ずっと喋ってる事があるんですねー、これが。(いかんのやけど)
それに私が好きなタイプはおもしろい人。
今教えている中にもおもしろいお姉ちゃんが何人かいて、ついつい話してばかりでレッスンが終わってしまう。
お金払って喋りに来てる訳じゃないから、その内「???」と生徒が思い始める。
慌てて真面目にレッスンし出すのだけれど、今度は話せなくなっておもしろくない気がしてくる。

こんな時、師弟関係ではないただのお友達だったらな〜・・・、ってなんとなく残念な気分になります。
でも、フルートがなければ知り合えなかった訳なのよね。

こんなにも気の合う人と巡り合えて幸せなハズなのですが、悲しいかな師弟関係であるばかりに
心ゆくまで喋る事が出来ない・・・。そしてなぁなぁのお友達関係ではレッスンに緊張感は有り得ない。
このジレンマに悩みつつ喋りたいのをグッとこらえて今日もレッスンに励んでいます。
もしもレッスン辞めたらお友達になってね☆



教える側の悩み 教えてると寒いんだってば

そう、教えているだけでは寒いの。
冬の真っ只中、インフルエンザが大流行の昨今、フルート教室は(うちだけか?)寒い・・・。

生徒達はたいがい息せき切って教室に懸け込み、楽器を組み立て、懸命に30分〜1時間程吹いて帰って行く。
急いでやって来る上にフルート吹いてると暖かくなってくるので、真冬でも「ここ暑いですね」と言う人はめちゃ多い。

だけど私は寒い。本当に寒いの!

理由1、私が行ってる教室は公民館系・プレハブが多い。しかもエアコン、そしてレッスンだけにはもったいない程の広い部屋なので、
     どんなにエアコンの温度を高くしてもジワ〜ッと足元から冷えてくる。
理由2、足元から冷える教室に大体5時間近くいる。
理由3、教える仕事は運動量が大変少ない。私はお手本としてチラッと吹く程度で、体を温めるには30分は懸命に吹かないと温まらない。

故にエアコンの温度を上げると生徒が文句を言ってくる。(特に子供)
「え〜!!!こんなに温度上げてるの!?先生おかしんちゃう!!!」
なにがおかしいのよほんまに寒いんやから、と心の中で叫びながら
「先生はずーっとここに5時間近くいるねん。動くと言っても吹くか喋るか少し歩き周るか、とにかくたいした動きやないし、せいぜい厚着してくるんやけど、足元からどんどん冷えてきて寒くて仕方ないねん。それにわたし冷え性やしね。」
とやんわり言うのだけど、ほとんど理解されない。
「ふーん・・。ちょっと下げるで。」
と勝手に温度を下げられる始末。

子供にはやっぱり酷かと思い、「この部屋暑い?温度下げようか?」と聞いては「うん、切って。」
と言われ泣く泣くエアコンを切る今日このごろ。なのに風邪もひかない・・。



教える側の悩み 楽しいだけでは楽しくない

私的に、同業者のレッスンを「スパルタ系」と「楽しみ系」の2派に、勝手に大別しています。

「スパルタ系」はその名のごとく本格的専門的レッスンに加え、なかなか誉めてもらえず、
練習を怠るとひどく怒られたります。これに食らいつけばうまくなりそう☆

「楽しみ系」は「音楽の楽しみを伝える事」がモットーで、楽器を好きになってもらう事や
生徒の好きな楽曲を優先してレッスンしたり、楽しいグッズが教室に置いてあったり、
とにかく先生も柔軟でやさしく、レッスンに行く事がとっても楽しくなります。


私は長い間「楽しみ系」のみのレッスンをしていたと思います。
レッスンによって楽器や音楽が嫌いになってしまっては元も子もない、
とはどんな先生でも考えていらっしゃると思いますから、ある程度のレッスンの楽しさは皆模索している所でしょう。

私も楽しいレッスンを目指して日々生徒を見つめ、毎回のレッスンが楽しいものになれば
自然に楽しく上達してゆくものだ、と考えていたのですがこれが甘かった・・・。

時間が経てばその人の上達ぶりはいやがおうにもハッキリしてきます。
その時に生徒自身も己の今日までのフルートライフを振り返る訳です。

「確かに楽しいレッスンではあった。嫌な事も強いられず自分の好きな曲、美しい名曲をたくさん吹いてきたけれど
かと言って指が回るようになったわけでも、音が良くなったわけでもない。あまり上達していないようだ。」
と悲しく振り返るのです。

私の生徒でも、そしてよそから私の所に流れて来た人で上のようにおっしゃる方は多いですね。

生徒が望む楽曲やトークの弾む楽しい雰囲気のレッスンも必要なのですが、
それとは別に、ゆっくりでも確実に「テクニック」の向上を成し遂げないと
今は楽しくてもいずれ楽しくなくなってくるのです。(恐ろしい・・・。)


「楽しさ」と「フルート奏法の向上」は時に相反する場合があります。
指が思うように動く、音のコントロールが自由に利き響きのある豊かな音色で吹く為には
頭の中の問題と、肉体的鍛練(あくまでフルートの)が必要です。
肉体的鍛練は地味で退屈なものになりがちで、イヤがる生徒さんは多いですね。

ですが、その退屈な練習の向こう側に自分の理想像を思い描く事が出来たり、
吹けなかった個所が出来るようになれば、これらの一見退屈そうな練習も嬉々としてやるようになる訳です。

「良薬口に苦し」と言います。うまくなる為には必ず地道なトレーニングが必要なのです。
でも、苦い薬にハチミツを混ぜるように、出来るだけその苦さを緩和するために
手を変え品を変え、生徒には少しでも楽しく、厳しいトレーニングに耐えてもらうよう
私達は努力する必要があると思います。

また、他人のテクニックを向上させるにはその為のノウハウと、自分自身のテクニックの向上が必要不可欠です。
これが大変なんだな〜・・・。

何にしろ、「楽しい」だけのレッスンや「スパルタ」なだけのレッスンでは問題が多いでしょう。
やっぱ両方が必要だと思います。


教える側の悩み すれ違う意識

自分の言った言葉が100%相手に伝わることなんてあり得ない、と解かっています。
でもっ。もうちょっと理解しててくれてると思ってたのにぃ〜〜・・、
と手足をバタつかせて訴えたくなる事が最近多い。

生徒と一緒の楽しい飲み会の時に
「後藤先生コワイからな」とか「先生にダメ!と言われた」などと生徒がお酒も入って楽しげに言うのです。
この「コワイ」っちゅーのは私のどんな状態の時を指して言っているのか定かではありませんが、
「ダメ」と言うような、断定的に否定する言葉については、私はなるべく使わないよう普段から努力しているので
多分言っても柔らかいニュアンスにしていると思うのですが、
(明らかな間違い・指の間違い、音の間違い、読み違いなどははっきり指摘するけれど)
とにかく最近の私の風評とはこんな様なものなのです。(大人からの評判ですヨ)

5年位前には考えもつかなかったこの「コワイ」と言う評判。
私と言う人間は「頼りない」「ぼーっとしている」「頭の回転が鈍い」の3原則を柱に生きています。
その私がコワイ・・・。

もう教え始めて10年を数えます。
この10年で私のレッスンのスタイルがある形を呈して来たなと感じていました。
このシリーズでも書いてますが、頼り甲斐があり、ついでに威厳があって生徒がハキハキ練習して来て
すぐにタメ口になどなったりしない先生像を私は目指していた為、上の様な評判に繋がったか、と思いました。

教え始めたあの頃の私の同僚・先輩の先生方が皆頭も賢くキリッとした人ばかりだったので、
その影響も大きかったと思います。

そして自分の吐く言葉は、先生と言う立場上私が考える以上に生徒にとって大きく響くのだな、とも思いました。

ふりこのハリが振り切るように、私も努力の末ある程度の望みが叶った訳ですが、
ちょっと張り切り過ぎたかも知れません。
これからの十年の目標は「ケジメ」と「柔軟性」と「愛情」にしようっと。


教える側の悩み 言い訳

レッスン場の扉を開けるなり、
「今日は全然練習できてないんですよー。先生の顔見に来ました。もうホントにダメ。」
と言い訳しながら入ってくる生徒さん(特に大人)多いです。
「聴けば大体分かりますからわざわざおっしゃらなくてもいいですよ。」
と、私はにこやかに応答します。

そう、聴けば大体は分かるのです。
音の出だしの感触や先週言ったことが直っているかどうか、そして何より目の輝きが練習して来た時と
そうでない時には明らかに違うのです。

言い訳だけするのならまだいいのですが、生徒さんの中には必要以上にご自分のことを卑下される方がいます。
これは困るのです。
私が何を言っても、
「やっぱり私には聴く耳がないから」とか「私の音などは先生のと比べると全然ダメですね」とかあげくの果てには、
「こんな悪い音ばっかり聴いていたら先生の感性が悪くなるでしょう?やっぱりここらでヤメた方がいいんでしょうかねぇ」
とおっしゃる。
大人の方なので色々ご自分で感じる所があって自分の出来に歯がゆく思っておられる面と、
私に気を遣って下さる面と両方あるのでしょうけれど、どんなにこちらがその人を誉めたり肯定的な事を言っても
信じてもらえない、と言うか受け入れてもらえないのです。

「やっぱ私が頼んないしかなぁ〜・・・。ピリッとした事もよう言えへんしなぁ・・・・。」
と思ってしまう。

出来が悪いからと言って怒るようなことは私はあまりありません。
そりゃ時にはありますヨ。大事な発表を前にしているにも関わらず無意味にサボッている生徒には
多少お説教したりするのですが、それもほとんど子供の生徒に対してだけです。
大人には色んな事情がありますから説教などはしません。

普段からやさしく接する事をモットーとしているにも関わらず私の言う事を受け入れてもらえない、
と言うことはやっぱし言う内容がマズイのでしょうね。
レッスンに来てくれるだけで私にはありがた〜い事なのですから、練習が出来てなかったり
上手に吹けない位であまり自分の事を貶めないでほしいな、と思います。



教える側の悩み 右・左

悩んでいる訳ではないのですがレッスン中、
「左の人差し指あげて!」
と言うと右の人差し指を上げる人6.5割、
「左手から、中指・薬指・小指と押さえて下さい。」
と言うと左手の人差し指・親指等、全く関係ない指を押さえる人8割強。

小さな子供ならいざ知らず、大人でもとっさに言われると全然分からなくなるようで
「おもしろいなぁ」って思ってしまいます。
特に左右逆に動かしたり、指摘された指以外を動かす事が多いようです。
なんで?

我思う、普段舌や指は使っているようであまり使われていないなぁ、と。

話すのにどれだけ舌を使うか(日本語)、指の1本1本を独立させて動かす事があるのか?(職種にも寄りますが)

フルートは日本人が普段意識しにくい部分を刺激しているようでおもしろいです。
老後にはなかなか良い楽器じゃないでしょうか?

今まで私から咄嗟に「○○指と○○指上げて!」
と言われてその通りになった人、見たことありません。
我はと思う方、是非私まで挑戦状よこして下さい。(笑)



教える側の悩み 合宿

当会のウリのひとつに合宿があります。
春と夏に子供を中心に行う合宿と、不定期ですが大人だけを対象にした合宿もやっています。
両方とも大変好評で、合宿常連の生徒もたくさんいます。
4泊5日(大人だけの時は2泊3日位)、泊り込んでフルートを練習すると皆それはそれは見事に上手くなります。
特に子供は普段の先生と2人だけのレッスンとは違う、自分と同じような年の子供達に混ざって仲良くしたりケンカしたり
しながらフルートに向き合い色んな事を吸収してゆくので、その成長ぶり(演奏技術も人間性も)は目覚しいものがあり、
毎回感動してしまいます。

毎回感動する位私は合宿好きを自認していますが、でもその準備たるやなかなか大変なものがあります。
しかも大事な生徒さん方を5日間も預かるのですから、講師陣は24時間参加者の命の心配をせねばなりません。

(年のせいか)肉体的にも精神的にもハードな合宿なのですが、その反面人間の色んな面が次第に見えてきて
とても興味深いものがあります。生徒に限らず講師同士であっても、5日間も集団生活をすればだんだん
イライラしたり機嫌が悪くなったりしてきます。
そんな極限状態(大袈裟か?)におかれた時にその人の本質が現れやすいと思います。
自分では思いもしなかった表情や言葉を聞けばその人となりが更に立体的に見えてきます。

子供の生徒なんかだと、親元を離れての不安と自由とが交錯して時に感情的になりすぎたり、ハネを伸ばしすぎて
問題を起したり、やはり普段のちょっと緊張した狭いレッスン室ではとても見る事のできない様々な面を見ることが出来、
その事がレッスンをする上で後々とても役立つ事が結構たくさんあります。

そんな表情の数々を見ていると、人間て子供でも大人でもちゃんとTPOをわきまえていて、
多かれ少なかれ他人の前では緊張し、その場に応じた「自分」をいつも演出しているもんなんだな、
と思うのです。

普段のレッスンでは「演出」されやすいので、出来るだけ合宿のような機会に、
生徒の言葉・表情・行動の断片を拾い集めて皆が何を考え、何を望むのかを知ることが出来れば
もっと効果的に上手くなるレッスンをする事が出来るんじゃないかなぁ、っていつも思います。



教える側の悩み 小心な私

以前教えていた生徒で、今も忘れられない生徒がいます。
その子は当時中学生、フルートの練習は毎日きっちりやるし、レッスンは休まず遅刻せず来ていました。

そこまでは大変良いのですが、その子は何かと文句を言っていました。

まず、レッスン開始時間が1分でも遅れると、
「私は何時からのレッスンですよね。」
と、厳しく確認してきます。
「そうよ、でもごめんね。ちょっと時間が伸びちゃって・・・。すぐに始めるからね。」
と、びくびくしながら私は答えたものでした。
それとか、
「どうして今月は月謝が高いのですか?」
と、また厳しい瞳で私を見つめてきます。
「・・・えっと、曲が進んだので500円上がったのよね。ホラ、この間合格したでしょ?」(うちの会独自の月謝制度による)
と、まるで万引きが見つかった小学生のようにおどおどと答えたものでした。
こんなやりとりがしょっちゅうありました。

こんな事を突っ込んでくる子はなかなかいません。この子を凌ぐ程の子もまだ出てきていません。
ですからやはりこの子は普通よりは気の強い子だったのでしょう。
私から見たこの子は、見た目はイケてるし頭もいいし何事にもひたむきなのですが、
人間的温かさが感じられない子でした。

ある時など、その子の前に来ているそう年の違わない生徒の、服装や髪が変だと私に笑って話した事がありました。
その時にその子の冷たさを直に感じて言葉が出なかったのを覚えています。
だけど、時間や月謝のルールについてこの子の言っている事は基本的に間違っていないのできちんと応答して納得させなければいけないと思い、私には超超超苦手な論理的思考を持って望むのがベストであると考えました。

んが、論理的説明が出来れば今だにこんなにレッスンの事で悩んではいないっ、と言う位
論理と私・・・・この2つは決して交わらず、私の頭の中の論理的なものは三途の川の向こうにしかありませんでした・・・。
従ってその子に的確な説明・指導はもちろん出来ず、だんだん私はその子のいる教室へ行く事自体がストレスになり、
その教室で教えるのがイヤでイヤでたまらなくなった頃、ついにその子の前で怒りが爆発してしまいました。
(こんな事ばっかり書いてクビにならないだろうか・・・)

爆発と言うとドカーンッと怒ったように聞こえますが、小心者の私の事、たかが知れていました・・・。

相変わらずレッスンが5分程伸び、そして相変わらずその子が、
「5分遅れましたね。」
と言ったのにカチーンッッッときて、
「確かにあなたのレッスンを遅らせた私が悪いけれど、5分開始時間が伸びてもレッスン時間は縮めてはいないし、お互いレッスンでノッてきた時には長くレッスンする事も何回もあったでしょう?あなたの言葉を借りれば時間が伸びて帰るのが何分か遅れてた事を損だと言うけれど、長くレッスンして得をした事もたくさんあったハズでしょう。その事についてはどう思うの?大体10分も20分も待たせた事はないし5分程待つその事があなたの人生のどれだけの損になるって言うの?」
・・・と、今考えると何ととりとめのない発言か、と背中が寒くなりますが、息も絶え絶え私はこれだけをやっと言いました。
この子に自分の思う所を言ったのはこの時が初めてだったように思います。(だって恐かったんだもん)

私の怒り(だけ)が通じたのか、その子はしばらく黙ってから、
「・・・レッスンは時間通りにやって下さい。早くても遅くても私は嬉しくありません。決められた時間にやってもらいたいだけです。普段より長いレッスンも要りません。迷惑なだけです。」
と、のたまった。

それだけ聞いて力尽きた私は、
「・・・・・わかった・・・・・・・・。」
とだけ言ってまたレッスンを始めてしまいました。

何と頼り無い事か、これだからイヤになる。と愛車を運転しながらの帰り道、泣きながら帰ったものでした。

とっさに気の利いた事が言えずに、結局生徒にも自分にも解決の道を与えずに曖昧に済ましてしまう癖が私には備わっています。曖昧さは必ず発酵し、いつか問題となって表面に現れてきます。
早い時期での対処が出来ていればもっと結果は違ったのでしょうが、頭の悪い私は問題を避ける事で紛らわしていたのです。

今回書いたこの子程の生徒はあまりいないと思いますが、どんな生徒でも私のかわいいかわいい生徒なので
出来るだけ話し合いながらお互いがより良い関係になれるよう考えたいのです。
でも今の私には、まだこの子のような生徒は乗り越えられない大きな壁となっています。


教える側の悩み 命を懸けたレッスン

何年か前には自分が何故フルートを教えているのか分からない時期がありました。
その頃の生徒さんには本当に申し訳ないと思っているのですが、私はレッスン場に足を運ぶだけで
何も考えず何も感じないままに惰性でレッスンをやっていました。ごめんなさいっ。

私は19の時からフルートを教えています。初めは楽しくて楽しくて仕方がなく、たまたま暗い狭い部屋でのレッスン
だったのですが、活気もあってロクに宣伝しなくても勝手に生徒がどんどん増えて繁盛していました。

繁盛したので1つの教室を株分けしたり、別の所も担当するようになって、
1つの教室から始めたものが時間をかけて5つ位に増えて行きました。
レッスン以外の生活もあった訳ですから、当然忙しくなってきました。

生徒も初心者が多かったので指や音の間違いなど直して時間内にレッスンをこなして忙しくしている内に、私の心は麻痺してしまったようです。生徒の人数も多かったので1人1人に気配りする時間が少なくなって、その内私の視界にはぼんやりとしたレッスン場の中に、無表情な生徒達が次々にやって来る、と言うような光景が見え始めました。

自分でもこんなことではいかん、と感じていたのですが何をどう変えればいいのか本当にわかりませんでした。

そうこうする内に生徒がだんだん減り始め、ある教室など8人いた所が2人にまで減ってしまいました。
生徒達は皆受験だ仕事だと忙しい理由をならべて去って行くのですが、その裏には私のレッスンの貧しさや
魅力のなさが反映しているのだとつくづく情けなく思いました。
しかも私は19で教えはじめた頃から一人暮らしをしていて生活費を稼がねばならず、生徒がいなくなれば
明日のごはんにも困る身分でした。(今だってそうですが・・・。)

明日のごはんに困って初めて自分のレッスンのおそまつさを遅れ馳せながら返り見たのです。
毛穴と言う毛穴から冷汗が出ましたが、何といっても明日のごはんが食べれない上に家賃が払えないのですから
すぐに私は立ち直らざるをえませんでした。

始めたばかりの頃のようにもう一度新たな心で生徒を見つめ直し、1人でも生徒を増やさねば生活に困る、
増やす為には減らさない事だ、と鼻息荒く私は再出発したのでした。


レッスンだけではありませんが、働いてお金を得ると言う行為は、私の命を繋ぐ大事な作業です。
私はフルートを吹きますから、教えたり演奏したり運営事務をしたり、色んな事をやる訳ですが、
そのひとつひとつが会社勤めでもない私には生命を維持する命懸けの行動であるのです。
その事に気付くことが出来て良かったと今は思います。でもその頃の生徒さん、ほんまにごめんねっ。


教える側の悩み 緊張感の男女差

良く思うのですが、自分が男であればもう少しレッスンに緊張感がでるのじゃないかな〜、と。
「緊張感の無さはおまえに緊張感がないからだ!」
と叱られそうですが、そうとばかりは言えない事もあるのです。

昔、日光猿軍団(じゃなかったかも知れませんが)に女性の調教師がやって来た、と言う内容のドキュメンタリー
番組が放映されていたのを見たのですが、その中で女性調教師の方が、
「猿にナメられる。初めて会った猿であっても人間の男と女に対する態度は明らかに違う。」
とおっしゃっておられました。

猿と一緒にされては困る、とおっしゃるかも知れませんが、猿でもそうならもっと高度な人間としては
男女差はより意識されるというものでしょう。
子供の生徒は特にこの傾向は顕著だと思います。

関西笛の会事務局にかかってくる入会希望の電話でも、
「レッスンを受けたいのですが男の先生はちょっと・・・・。女の先生にして下さい。」
と言う要求は良くあるものです。
男の先生だと緊張してしまうから女の先生にして欲しい、と言っているのです。


緊張感を求めてちょっと厳しい顔でレッスンした事もあったのですが、そうなると今度は生徒が
萎縮しちゃって、音が悪くなったりした為やめてしまいました。(やり方がまずかったかもしれませんが・・・)

レッスンには適度な緊張と緩和が必要だと思います。
緩和の方は得意なのですが、緊張の方は私には大きな課題となっています。

萎縮してしまうような緊張ではなく、程良い緊張感を作り出したいのです。
どんな表情で、どんな言葉で、どんな振る舞いをすれば、生徒が緊張しながらも伸び伸びとその人の
個性を活かしつつフルート・音楽の能力を向上させる事ができるんでしょうか?

・・・これが分かっていればこんなシリーズで文章書いたりしませんよねぇ。


教える側の悩み テレパシー

私にはテレパシー能力がある!と思う程自分が心の中で思った事が生徒に伝染する事があります。
一番多いのは、「今日は体調がすぐれないから早く帰りたいなぁ、誰か休まないかなぁ。」
という不謹慎な事を考えていると、本当に生徒が休むのです。
それとか、「今日はAさんが休むような気がする。」
と思うとこれまた本当にAさんが休むのです。(いや本当)
統計を取った訳ではないのでこれがどのくらいの確立で当たっているかは定かではナイ。
んが、この他にも生徒の演奏を聴いている時、
「もうすぐ間違えるな」
と思うと生徒が演奏を間違えたり、逆に、
「間違うなっ!このままふんばれっ!」
と思うとちゃんと最後まで吹けたり。(本当だってば)

偶然が多いとは思いますがこういう事があると、人間の感覚とはとても敏感なものだな、と思うのです。
言葉や行動にならない何か、をいつも人は感じているものです。
特に1週間に1度、30分程しか顔を合わせない生徒には、私(後藤菜美)というものがよく見えるのじゃないかと
思うのです。私にはレッスンと言うものが日常的に存在し、そのノウハウに慣れてしまい生徒が感じるような
新鮮さというか、客観性を見逃してしまう事が多いように思います。
その事はとても恐い事だと思います。
慣れを許す事が一番レッスンを無味乾燥したものに変えていくのでしょう。

私もレッスンの中で色々なことを感じるのですが、生徒の方がより感じやすい立場にあると思います。
その目をいつでも意識し見つめて、一体自分は今どんな場に立たされているのかをいつでも
考えていなくてはいけないのだと思い知らされます。


中間報告

この連載も始めてから随分経ちました。
最初は「すぐネタがつきるだろうなぁ。」と思っていましが、意外にも書いている内にあれもこれもと書きたい事が増えてきて、この頃ではレッスン中にネタ(?)が浮かび、忘れないようレッスンを中断してノートに書き留めたり
するという本末転倒ぶりです。(こんな事ではいかん)

でも、嬉しい事に私のホームページを見て最近全国各地から励ましのメールをちらほら頂くようになりました。
「メゲずにがんばって下さい。」とか、「案外ちまちまと色んな事を考えているのですね。」とか、
「あまり思い詰めないように。」とか、とにかく励まされています。


内容に関してはいつもちまちまとどうでもよさそうな事ばかり書いていますが、
書くようになってから少し心の負担が軽くなったようです。
もっと内容も深くて文章力の優れたものを書けたらなぁ、といつも思いますがそれは逆立ちしても
無理そうなので私の場合は体当たりの(場当たり的な?)文章で書きつつ、考えつつ、ちょっとでも
魅力のあるレッスンが出来るようになるべく精進していくつもりです。

その内別のテーマで何か書きたいと思っていますが、もうしばらくは「教える側の悩み」シリーズ
で進めていきます。
皆さん、どうぞ気楽に読んで頂いて是非こちらへお声を聞かせて下さい。
そして一緒に考えて頂けると助かります。

これからもどうぞよろしくお願いいたします。


教える側の悩み 甘い贈り物

教えていると生徒の親御さん、もしくは大人の生徒さんから色んな物をもらう事がよくあります。
一番多いのはクッキー・ケーキ・ゼリーなどのお菓子です。
お中元・お歳暮の季節は特に多く、またそれ以外の時にも暖かいお心遣いから持ってきて下さいます。

もう本当にありがたく、何だか申し訳ない気持ちになります。
「こちらこそいつもフルート習いに来てくれてありがとう、親御さんも大事なお子さんを私なんぞに
預けて下さってありがとうございます。何か困った事があったらいつでも言って下さいねっ。」
というような気持ちになります。贈り物も嬉しいけど、それよりは元気にレッスンに来てくれさえすれば
それで十分なのです。
本当に本当に本当に嬉しいのですっ!! ・・・・・・が、実は私は甘いものが苦手なのです・・・。

その事をずっと告白できず今日まで甘い贈り物をもらい続けておりました。
いつか言おう言おうと思いつつ、皆さんの笑顔をみるととても言い出せず、頂いたお菓子も
何とか食べようと努力するのですが、いつも賞味期限を過ぎてしまいゴミ袋へと姿を消してしまうのです・・・。

甘い物が苦手なのであって決してキライなのではありません。とてもお腹が空いた時や何も食べる物が
ない時なんかはばくばく食べます。味だっておいしいと思います。
ただ、何とも説明しがたいのですが普段生活している分には滅多に食べたいとは思わないのです。
(酒飲みの傾向でしょうか・・・)
最近では私がお酒を飲む事を知って相応の物を贈って下さる生徒さんもちらほら出現してきましたが、
圧倒的に多いのはやはりお菓子系ですね。
私が女性なのと、お菓子ならば腐りにくいし無難だと言う事で持ってきて下さるのかな、と考えます。
私がもし親の立場であればこのように考えます。

でもせっかく頂いた物を賞味期限を切らしてしまうのは何とも言えず胸が痛くなるのです。
色んな所に持っていって皆で食べたりと努力はしているのですが間に合わない事もしばしば・・・。
皆さんの心を踏みにじっている気がしてなりません。


私は皆さんが習いに来て下さるだけで十二分に幸せですので、どうかお気遣いなく願います。
そしてこの文章読んで気を悪くされた方もいらっしゃるかもしれません。その場合はごめんなさい。
私の表現に不適切な所があったかもしれません。
ただ悪気があって書いているのではない事だけお分かり頂きたい。
長い間心の重荷になっていましたのでどこかで告白しておきたかったのです。

生徒さんが笑顔で教室に来てくれる事が私の幸せですからそれ以上の事は望むべくもありません。
ですから皆さんどうぞお気遣いなく・・・。


教える側の悩み 大人の生徒

私の教えている生徒の半分以上が子供(高校生以下)なので、今までつい子供中心の話になっていましたが、
今回は大人の生徒の事を書こうと思います。

大人の生徒とは気持ち、もしくは価値観が合うかどうかが大きなポイントになります。
こちらが相手に好感を持っていても向こうが私に好感や先生としての信頼・価値をおいてくれなければ
レッスンは上手く運びません。(逆もしかりですが・・・)
大人の生徒はいやであればすぐに去っていってしまいます。


私の大人の生徒の3分の2が私よりぐっと年上です。
いつも、
「私の事頼りないって思ってるやろーなー・・・。」
って考えてしまいます。

その中でも最年長の生徒で大変博学な方がおられます。その方はクラッシック音楽の知識も豊富な上にフルート
以外にも音楽や芸術、語学などの趣味を持たれて人生をエンジョイされています。
その生徒にフルートの奏法は教える事ができてもその他の、世界全般の雑学・知識・世間話などに関しては、
私はただにこにこと聞いているだけと言う状態の多いこと多いこと・・・。
その方とのレッスンでのお付き合いももう何年にもなりますが、毎回、
「私のレッスンでいーの?もっと賢い人にレッスン受けた方がいいんちゃうん?」
と(心の中で)語りかけている始末。

ただ、何年たっても私の元を去って行かない所を見ると、どこか私のレッスンにも
その生徒にとっては良い所があるのでしょう(か?)。(そこはすごく知りたい所ですが)


相変わらずの自信のなさなのですが、その事とは別に大人の生徒ならではの楽しみがやはりありますね。
一緒に飲みに行ったり(こればっかり)フルート以外の色んな事を教えてもらったり、あとフルートが上手く吹けたり
仲間とのアンサンブルを楽しんでいる時の、子供には出せない何とも言えない人生の喜びを感じたような生徒の表情を
かいま見た日には、
「本当にこの仕事をやっていて良かったな。」
と、嬉しくて涙がでます。

どんな時でもフルートが生徒の人生を明るく照らし出してくれるといいのにと願ってしまいます。
皆さんの喜びの表情は私の人生を明るく照らしてくれるようです。


教える側の悩み 親しくなりすぎる事

「初めて会った気がしない」「もう何年も前から友達なような感じがする」
と、私はよく人から言われるのですが(本人はそんな気はまるでないのに)、
この事は生徒と接していると仇になる事があります。
生徒のキャラクターにもよりますが、親しくなるともう友達のような感覚でしゃべってきて、こっちが先生らしく
ふるまうと機嫌が悪くなったりするのです。特に小学校高学年、中学生位の女の生徒にこの現象が多いようです。

あまり親しくなりすぎるとレッスンに緊張感が無くなってしまい大変教えづらくなってきます。
生徒の方でも次第にわがままが出てきて、自分の思うように進まなかったり注意をされるとふくれたりします。
こうなるとどっちに主導権があるのかわからなくなってきて、レッスンの内容もいいかげんなものになってきます。
学級崩壊のようなものです。

だから私の方もなるべく気を付けて、プライベートな話はしないようにしたり言葉使いも生徒と同じようには絶対
しゃべらないように、大人っぽく(?)話すようにしたりして生徒と距離を置くようにしています。

それでもダメな場合があります。一体私に何を求めているの???と言いたくなる程、生徒のほうが
自主的に馴れ馴れしくしてきて私から先生の仮面を外そうとするのです。

思春期の女の子はとかく悩みがあるのか(男に悩みがないと言っているのではない)、何でも話せるお姉さん(あつかましい?)的な存在が欲しいのかも知れません。
でも、フルートを習いに来ている以上は私とあなたは先生と生徒。お友達になる為にわざわざ通っているのですか?
とたまに確認したくなります。
この事は性別が同じ場合に起きやすいのかも知れません。逆に男の先生だったらもう少し距離を取って接する
事ができるのではないかと思います。
あと、やっぱり私自身がいくら気を付けていても、基本的に顔つきや態度が馴れ馴れしいのでしょう・・・。

思春期を過ぎると大体は落ち着いてきて、生徒の方もちゃんとお互いの距離を計る事ができるようになります。
そうなると今度は大人同士の関係が出来てきて、子供の頃から教えていた子が成人して一緒に飲みに
行ったりもできるようになります。
普段の人間関係もそうですが、ある程度の距離を保たないとうまく行かないようです。距離が近すぎると
馴れ合いや傲慢が出てきます。お互いを尊重し時に意見できるようにする為にはある程度の緊張感が
必要なのでしょう。
フルートの能力を伸ばしてやる事が私の仕事です。緊張感の欠けたレッスンでは伸びる能力も伸びなくなります。
だからいつでも自分の言動をチェックする必要が(私の場合は特に)あるな、と常々冷や汗をかきながら思っています。

教える側の悩み 歯の矯正

生徒が中学生位になってくると歯の矯正をしだす子がグッと増えます。
私はやった事がないので良く分からないのですが、あれは相当ストレスの溜まるものらしいのです。
針金で歯を締め付けて歯の方向を変える訳ですから、それだけでもズキズキと頭痛のように痛いらしいのと、
やわらかい口の中に針金を入れるので口の中が切れたりするのです。ある生徒はレッスン中にフルートを
吹きながらポタポタと血が出てきて吹けなくなった事もありました。
それ以外にも手入れの問題や見た目があまり美しくない事などでストレスを感じるようですが、親御さんからの厚い
要望もあってか皆だまって耐えているようです。

矯正をするとフルートが吹きにくいようで、途端に音が悪くなったり出なくなったりします。口がうまく締まらず
息のコントロールができない事や、歌口が針金に当たって痛かったりするのです。
ですから、生徒が矯正をすると聞くと私はがっかりしてしまうのですが、歯並びの悪さは見た目だけでなく姿勢や内臓
にも影響して健康を害する事もあると聞くと案外バカにできないものだなぁ、とも思い、矯正のできる年齢と言う
のもあるらしいので皆こぞって中学くらいで矯正するのか・・・、と何の対策も持たないまま今日も矯正の為に
グッと音の悪くなった生徒に音色のレッスンをするのでした・・・。

「矯正はフルートを吹くには向かない!」
と言ってやめてもらう訳にはいかないしその人の将来にも関わる事ですから、いちがいに何とも言えないのですが、
矯正をしつつうまくフルートを吹ける方法はないものでしょうか?

教える側の悩み 滑舌

私は大変滑舌が悪い。これは悩みというよりはもうあきらめなのですが、たまに舌の調子(?)がとても悪くなり
驚く程物が言えなくなる時がある。そんな時のレッスンは本当に情けなくなってしまう。
基本的に言えない言葉があって、特に苦手なのは「かきくけこ」、その他同じ母音の言葉が重なると弱い。
大女優の「きききりん」さん(どんな漢字でしたっけ?)のお名前などはまともに口に出来た事がない。

滑舌が悪いので自ずと言葉を選んで話してしまう。
同じ言葉ばかり使っていると生徒が受ける刺激も弱くなってくるようです。
もっと色んな言葉を使いたいのですが、自分が言えるかどうかを一旦頭の中でシュミレーションしてから口に出す
癖がついていて、
「これなら言える、OKだ。」
と思った時にはもうすでに話題が離れている事もしばしば・・・。
あと、自分の中でOKを出したにも関わらず口にだすとやっぱり言えず、どもってしまう事もしょっちゅうあります。

・・・なんかとてもどんくさい話なのですが、私には意外とバカにならない大問題なのです

教える側の悩み 正しい答え

最近はあまり意識しないのですが、以前は教えている内容に自信がなく、その上正しい事を教えなければ
いけない、というような強迫観念がありました。
生徒や生徒の親、そして自分自身が持つ疑問にすら「はっきりした正しい答え」が必要な気がして、
こんな時はこう言う、とかこんな場合はこう行動しなければいけない、と自分の中でマニュアルのような
ものを作って自分自身でそれに縛られていました。
そんなものを作った所で、全ての生徒に合う訳はないので自然と何かがぎくしゃくしてきます。
そうなればなる程どんどん自分の中のマニュアルにはまってしまい、自分や相手の個性に構わず
「答え」だけを探してしまう。でも見つからないから今度はそれに落ち込みながらも当たり障りのない言葉で
その場を紛らわせてしまうのです。
でもそんなレッスンは、まぁ おもしろくないのです。
だから離れていく生徒もいました。自分でも「やっぱりダメかぁ・・・。」と自分のレッスンの無味乾燥さを思い知るのです。

でもある日ふと、「他のフルートの先生はどんな風に様々な場面で答えを出しているのだろう」
と疑問に思い、周りを見渡してみました。
すると、私が考えていた聖人君子のような人は周りにはいませんでした。(失礼かな?)
でも魅力的な人はたくさんいて、その人達は皆個性的で正しい事ばかり言う訳ではないのですが、
1番の魅力は、惜しみなく自分を表して相手を思いやり、一緒になって色んな事を楽しんだり話したりする姿でした。
それを見て、私は今までテストのマークシートのように答えはたった1つでそれ以外は認められないと
思い込んでいた事に気が付きました。
答えや結果は1つではなくもっと自由に考えて良い、でもその根っこには愛情がなければいけないのだと思いました。


お金を取って教えておいてこんな事を書くのだから無責任ですよね。クレームが来るかもしれません。
言い訳に過ぎませんが、マンツーマンのレッスンでは会社や学校のようにたくさんの人がいる訳でもない、まして
企業努力や研修・ノルマ・上司もいない同僚も少ない。レッスンの中では自分が先生で1番偉い、となると
レッスンの悩みを打ち明けたり、指導ミスを指摘されて問題解決を迫られたりする事もないので
自分が間違った方向へ進みやすいと思うのです。
私は先生をやっているけど万全の自信は持つ事ができない。だからこんな場所で問題を告白しながら
フルートについて、レッスンについて振り返り振り返り考えて行きたいと思っています。

教える側の悩み 教えすぎてしまう事

以前から誰かに聞きたいと思っていたのですが、やたら教えすぎて失敗(?)する事があります。
それは、ある子供の生徒でその子は自分の生徒の中でもけっこう長く教えている生徒でした。
始めた年齢が小さかった事もあってなるたけわかりやすく、彼女が疑問に思う事は何でも答えて、
短いレッスンの間になるべく効率良く教えようと私はがんばっていました。
でも、彼女が成長するにつれて、だんだんフルートや音楽について自分から考えようとしない態度が
目につくようになりました。こちらが指示をだすとちゃんとその通り吹くし、自宅での練習もきちんと
やってきて毎週何がしか上手になっていくのですが、吹いていてわからない個所が出てくるとじーっと
動かず私が何か言うのを待っているのです。
で、私が
「○○ちゃんこれは何て言う音符かわかるかな?」
とか
「どんな感じの曲になるかイメージできる?」
とか、なんなと尋ねるのですがそれでも
「うーん・・・。」
ともじもじして答えない。言葉で説明しにくいのかと思って
「じゃぁ、先生が吹くから真似してみ」
と言って吹くと、彼女はすぐに真似してあっと言う間にできてしまう。
音楽をやっているのだから、直接聞けばわかりやすいしとにかく出来るようになるのが早い。
でも私が不満なのは、フルートは教えてもらうものだと彼女が感じている事だ。
お金を出してわざわざ習いに来ているのだから教えてもらうのが当然と言えば当然なんだけど、
教えてもらわない限りわからないのじゃ仕方がない。

でも、彼女がこんな風になってしまったのは、私がいちいち教えすぎたからかもしれないと思うのです。
もう少し彼女に疑問を持たせるようなやり方で教えていればもっと違ったのじゃないかと今思っています。
小さい子は時間がかかるのでなかなか前に進まない事にイライラして、早く進む道や効率にばかり
気をもんでいたように思うのです。
彼女に対してどう接するのが最善だったかと今でも悩みます。

似たような経験のある方、是非ご意見聞かせて下さい。


ごあいさつ

皆さんこんにちは。加藤先生に引き続き私もページを開く事になりました。
何を書こうかとずいぶん悩んだのですが、シリーズものでレッスンについて書いていく事にしました。
シリーズにするからには自分が最も関心ある事柄がよいだろうと、これを選びました。
内容は「教える側の悩み」をテーマにしようと思っています。
主には私が抱えるレッスンについての悩みを書いていくのですが、皆さんからの質問や要望などありましたら大歓迎です。
元々自分一人だけで考えているのでは世間が狭すぎると、思い切って公表する気になったので、このページを機に
皆さんから色んな事を教えて頂けたらと考えていますので、疑問・質問等是非送ってきて下さい。

現在私には22人の生徒がいて、その1人1人について毎日いろんな事を考えます。
フルート歴も浅く、不器用でなかなか前に進まない生徒も、器用でどんな曲もすいすい吹いてしまう生徒も、どうすれば
もっとより良く展開していくのかと私が思い悩む時間や量はどの生徒でも同じです。
基本的には先生と生徒で立場が大きく違うのですが、教える側の私も同じ人間なので悩みが尽きる事はありません。

今回はあいさつだけで失礼いたしますが、次回から真面目に書いていこうかと思っておりますので、
どうぞよろしくお願いいたします。


お問い合わせはこちらまで・・・。 皆さんのご意見お待ちしております。

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